【うるおい女子の映画鑑賞】 第45回『サガン-悲しみよ こんにちは-』(2008年・フランス)
「女性」の視点で映画をみることは、たとえ生物学的に女性じゃなくても日常では出会わない感情が起動して、肌ツヤも心の健康状態もよくなるというもの! そんな視点から今回はフランスを代表する作家フランソワーズ・サガンの壮絶な人生を描いた『サガン-悲しみよ こんにちは-』(2008年・仏)を紹介します。
|ストーリー
1954年、夏休みに書いた処女作『悲しみよ こんにちは』が大ベストセラーとなり、18歳のフランソワーズ・サガンは突如、時代の寵児となり莫大な富と名声を手にします。取り巻きや派手な交友関係、お酒にギャンブル、そしてドラッグに溺れたサガンはやがて、理解者の死や膨大な借金、ドラッグに蝕まれた精神と身体を抱えて、孤独な晩年を迎えます。
出典:imdb.com
多くの取り巻きに常に囲まれ(いい輩もわるい輩も含めて)、大きな家で彼らと同居し、ジェンダーの垣根を超えた恋愛を謳歌し”自由”な人生を送るサガンですが、いつも孤独に見えます。何人かの理解者こそいますが、彼らが彼女のもとに留まることはなく、やがてそれぞれの形で彼女のもとを離れていきます。
|“孤独”が好きな人間もいる
“孤独”なことは嫌なこと、悲しいこと、惨めなこと、とされていますよね。でも、本当にそうでしょうか?
作品中のサガンを見ていると、おそらく彼女は処女作『悲しみよ こんにちは』を書き上げた18歳の頃からすでに孤独を覚えていて、その孤独感は生涯続きます。ですが彼女は「孤独だ」とつぶやきながらもいたずらに笑い、その孤独を受け入れ、まるで孤独が無二の親友であるかのように生活しているのです。
彼女は人を求めながらも、その実、最後の最後のこころの扉は誰にも開かず、孤独をエネルギーに執筆に向かっていたようにも思えてきます。ひとり息子のドニにすら、自分の最期の瞬間に立ち合うことを許さなかったことは「孤独とともにこの世を去る」ことを自らに課していたのでは? と想像してしまうほどです。
|“おひとりさま”だからこその人生を謳歌しよう
作品中どんな状況でも世間の目や常識にとらわれることなく、繊細なこころとは裏腹に、豪快かつシニカルなユーモアとともに生きていたことが伺えるサガンのセリフの数々は必見。実際にひとり息子のダニが作品中のセリフをチェックしたということもあり、ユーモアとエスプリの効いた言葉1つひとつに人となりが伺えます。これは、孤独を受け入れた女性にしか繰り出せない種類のもの。彼女の愛と、孤独と、生き様が垣間見れます。
孤独であることに恐怖や焦りを感じることは、誰にもよくあること。だけど、サガンのようにそれを受け入れ「死ぬときも独りなのだ」と腹に落としてしまえば、もっと肩の力が抜けて楽に生きられるはず。ジェットコースターのような人生を生きたサガンですが、ひとり、とり憑かれたように肩を上下に揺らしてタイプを叩く姿には、孤独だからこそ溢れるエネルギーの高揚を感じます。孤独こそが、サガンをサガンたるものにし、彼女を突き動かしていたと思えるのです。
「“おひとりさま”でも大丈夫。孤独な女ほど面白いんだ」
孤独と思える人生でも、サガンのように落ち着き払ってユーモラスに楽しみたいものです。
text:kanacasper(カナキャスパ)映画・カルチャー・美容ライター/編集者
↧