ラオスの田舎の空港に向かうタクシーの中でガス欠になってしまったことがあります。
運転手は降りるとポリタンクを手に、ヒッチハイクでバイクを捕まえ、行ってしまいました。
その間にタクシーを乗り換えてもよかったのですが、運転手は彼の子供を僕の脇に置いたまま行ってしまったのです。
飛行機の時間もあるので、様々な選択肢を考えましたが、「待つ」ことにしました。
その時、ふと思ったのです。
自分の時間軸で、世の中は周っていないんだなぁと。
その頃から、「待つ」時間が、以前ほど苦にならなくなりました。
もちろん、イライラすることもあります。
でも、それは、たいてい「待つ」に意識が集中しているからなんでしょうね。
場所は固定されても、「待つ」時間は、基本的に空いた時間です。
本を読むこともできるし、スマホでメールを打つこともできます。
私の場合、写真を撮ることもあれば、人を眺めている時もありますし、考え事にふけることもあります。
「待つ」ということは、旅先だけではなく、日常でも変わりません。
ラオスの話ですが、子供と遊びながら待ち、無事、飛行機に乗ることができました。
text:イシコ http://sekaisanpo.jp/
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